没落と偶像崇拝

数年振りに会った彼からは知性の輝きなんてものは1ルクスさえ感ぜられなかった。

Yと私は中学生の頃に同じ部活に入っていて、2年生でクラス替えをしてからは卒業するまで同じクラスだった。当時のYからは素朴な知性が滲み出していた。知的好奇心を擽る言葉を使い、知っただけで一日中楽しくなるようなことを教えてくれた。3×3の魔法陣の作り方を教えてくれたのもYだった。

「拡張するんだよ。3×3の魔法陣を上下左右斜めにもつける。それで、真ん中のマスの適当な位置から右斜め上に行くように数字を埋めていく。右斜め上の魔法陣にはみ出たら、その魔法陣で埋めた場所と同じ場所・埋めた数字と同じ数字を真ん中の魔法陣にも書く。全部埋まったら同じ列ひとつ上の行から始める。これを真ん中の魔法陣が埋まるまで繰り返す。」

xy座標平面で、さらに頂点がx軸から離れない中学生の座標幾何でも辛かった私にとっては、Yの言う高校の座標空間—z軸を導入して3次元の空間を作るなんてことは理解できなかったし、想像することさえ困難であったように思う。

私は高校入試のときは国語だけは得意であったから、高校入試の模擬試験の度に彼と国語を競っていた。とはいえ、彼とは互角で、さらに彼にとって国語は苦手な方の科目だったのだ。こいつは頭がいいなあと感心するばかりだった。おまけに彼は絵も描けた。貰った魔人ブウの一枚絵はいまでも私の実家にある。ともかく私は知性の煌めきを漂わせるYが好きだった。

しかしながらYが県で最も偏差値が高く旧制中学の流れを組む高校に進学し、私が中の下くらいの高校に入ってからは事情が少し変わってきた。Yと同じ高校に行った友人曰く、高校での彼は深海魚のように学年順位でビリ付近を蠢いているという。信じられなかった。もちろん名門の高校でも首席を取り続けるとは思ってなかったのだけれど、私はYのそんな話を聞きたくなかった。

Yはどうしようもない落ちこぼれだ。とYの高校同期は言っていた。高校生活の序盤は市立図書館でYを見ることも多かった。が、学年を重ねるにつれて見なくなった。どうしてしまったのだろう、彼はいまどうしているのだろうと思っても、もともとYと私は高校進学以来連絡を全く取っていなかったのだから、何もわからない。今更彼に聞くわけにもいかない。

私も彼もそれぞれの高校を卒業するときに、彼が浪人する話を聞いた。それでも彼の高校は生徒の半分くらい浪人する環境だったから、私は特に何も思わなかった。そこから1年経ち彼も私も大学生になった頃に部活の同窓会をやった。

そのときのYからは知性なんてものは消え失せていた。

彼が中学時代に最も忌み嫌っていた軽佻浮薄を取り出して具現化したものが居た。中学生の頃の彼は消え失せてしまったのだ!まさか、つまらない呆然に溺れる大学生になっているとは!「Fランだよ、こんなところに行っちゃった。**は○大?すごいね。」なんて私に言ってくるYなんて見たくなかった。それは私の中学生の頃の彼への態度、畏敬とは違って、単に媚び諛うだけだった。気持ち悪い。彼が話す話題もくだらない。日々のつまらないこと、大学のサークルの話や飲み会の話なんて聞きたくなかったのに!下らない何の価値もないつまらない人間になってしまったのだなお前は。凡人だよこれじゃあ凡人だ。自同律なんてないんじゃないか?って彼に冗談交じりに言ってみたけれど、曖昧に笑うだけ。その瞳も濁りきっている。

もうYは何処にもいないのだと、あの知性の煌めきは存在しないことを理解した。