連絡

  何も書くことがない。あえて言えば〈否定的な感情〉や〈刹那的な希死念慮の発露〉など適当な単語を並べて暮らしている生活に飽いているということ。桜が咲いて花を見に行ってただボンヤリと生活に思い巡らすうちにまたひとつ年を取るのかもしれない。

  動物園のような高校を卒業して何年か経ち知り合いが自殺するようになったらしい。またひとり死んでしまったことを知ると、自分ではないことに驚いてから、自分は誰にも気付かれないだろうと考えて嬉しくなる。

  小学生の頃、卒業が迫って来た冬に、私は昼休みを空き教室で体育座りをしたり図書室で辞書を引くのではなくただ捲ったりして過ごすようになった。図書室のパソコンの前には声の大きな人が集まってのび太のバイオハザードのことを話していた。煩くて不愉快で空き教室や屋上へ続くドアの前で置物になってしのいだ。同じクラスの人が「どうして何もしないの。キミは忘れられてしまうよ。」と言ってきたのを覚えている。

  忘れられたかった。消えたかった。アルバムにも載りたくなかった。日常を忌み嫌っていた。ここではないどこかを希っていた。だから「いいよ。誰にも残りたくないから。」と話して少し早い厨二病だと思われるようになった。

  冬から春への連続的な変化を見るにつれて日常への嫌悪はますます強くなる。生活の実感というもの。引越しの前後には生活の実感が喪失する。家にものがなくなること・家にものがないこと・家にものがあらわれること・家にものがあること、生活は再び立ち現れる。そのなかにある生活性みたいなもの、どこにも行けないとの薄い絶望感が消えたり現れたりする。物が増えたり愛着を感じ始めたりすること。唾棄すべき安寧。