年齢に意味はない。誕生日を迎えるたびに自分が思ったより若いことに驚く。成人してからは自分の年齢がわからなくなった。ただ毎日が過ぎ去っていくのを茫然と眺めることしかできない。あらゆることがどうでもよくなってしまった。大人になると得られると信じていたものが何もないこと、やっとそのように理解して受け入れる。来年も同じように歳を重ねるのだと思う。

  このころには東京の桜が散り始める、だから信号待ちの交差点などでは足元をゴミと一緒に花弁が転がっていく。白く拡がった鳥のフンの上を私の足の上を点字ブロックを、花弁は低く飛んでいく。その潰された組織の裏に透ける地瀝青と白線や砂利のいたみを妄想しているうちに信号は変わる。

  一昨々日に大学の先輩と会って話した。彼女はこの春から学外の研究室に所属することになったと。先輩は私に「キミは、なにを専門にするの」「なにをやるの」「なにがしたいの」「卒業したら?」と言ってくるから、ますます何をやりたいのか何をすればいいのかわからなくなってしまった。私はがらんどうで音叉のようにそれとなくそれっぽいことを放ってきたことを後悔した。いますぐ消えたくなった。

  もうどうしようもないから大学の前の桜を見ながら梶井基次郎を下手に引用して、「私が桜の下に埋まれたら良いのです。何者でもないのだから何にもなれないのだからせめて埋まっていたいのです。」と話した。先輩は梶井基次郎を知らなかったから私を蝉のようなものだと勘違いしていた。それなら太陽の見えない地中で明日を待ち続けたいと思った。