希臘旅行記(1)

ソクラテス :その報告とは何だね。それともあの船がデロスから帰ってきたのかね、それが帰ってくれば、私が死ななければならぬという船が。 クリトン:もちろん、帰ってきたのではない。しかし私の思うところでは、スーニオンでその船を降りて、そこからやってきた二三人の人の報告するところから考えて、今日は到着するだろう。…従って君が明日君の生涯を閉じなければならないということは明らかだ。

プラトン『クリトン』(山本光雄訳)

病気や怠惰やぼんやりとした不安、虚栄心。私の大学での成績は見るに耐えない悲惨なものになっていた。入学前々日くらいの私は「アルバイトを週3で入る苦学生を気取って複数の団体を掛け持ちしつつGPA3,00を維持する」と日記に書いている。意味不明。

掛け持ちした団体はどれも行きづらくなるか辞めてしまって、GPAはかつてのギリシャの経済状況を端的に示している。アルバイトはやっているが労働や資本主義社会に対する憎しみが強くなっただけで、自分の時間がn円/時間て売られていると考えるとただただ死にたくなる。こんなことをあと何年も続けないといけないのか?大学を卒業出来るのか?疑問が日に日に強まる。

あの船が帰ってくる日、私にとっての成績発表の日に、生涯- 今後の進路 -を閉じなければならないことを噛み締めている。二、三人の知り合いが成績発表は3月の**日だよ、と私を暗くさせる。ソクラテスら****(人参?)の毒杯を呷って死んだが、私はどうやろうか?

第1学年を終え、私も春休みになった。直前にあった西洋音楽史のテストの結果がどれほど悲惨であったか、それに伴う感情が惨めであったかは語らないことにしたい。