職場の送別会で鳥貴族に行って、口の中で小さなつくねを弄んでいる。煩くて不快でしかない居酒屋に来てしまった愚かさを少し考えて、お得意の感傷とマゾヒズムに浸る。飲み代が5人合わせて10000円を超えたあたりから何も考えないでキャベツを皿から口に移すだけになった。

祐天寺駅徒歩7分1dk

  来春に卒業する先輩の引っ越しを手伝うために朝早くから新居に行く。鉄骨の新築だから良いじゃないですか。5階の高さなんて、窓開けたらすぐに換気できますと、煙草を吸わない人の新居でガラムのスーリヤマイルドを吸っている瞬間、気持ち良くて脳イキしそう。先輩はこれから先の人生で一本も煙草を吸わないから、部屋に染み込ませたくて何本も吸い続ける。

朝摘みオレンジ天然水

隣の家の屋根に物を置いて熱消毒するような夏が終わり、来たかどうかわからない秋を待ちながら服を洗う。暑くて動きにくくて寒いスーツを着る理由がわからないからスーツを考えた人は死んで欲しい。死体で家系ラーメンを作って食べよう。脊椎を寸胴鍋に入れて何日も煮込んだスープを美味しく飲むんだ。正常位しいに入ったらボルシチ用の粉末が売ってたから買った。

生活

  口を開くのを億劫に感じはじめている。表情筋が使われていないのがよくわかるとかつて一緒に暮らしていた人が言った。毎朝同じ時間に登校して、居室に行く。ここは誰も使わない。専門書が壁一面に並べられる横に貼り付けられた乾燥して黄ばんだ紙に30 May 2018 Richard、借りたり返したり。本屋を探しても無かった本を手に取り18 June 2019。曖昧に本を読んでいると授業開始時刻が近付いてくるから、よたよたと歩いて向かう。もちろん誰も居ないから長机を使うことを躊躇ったり躊躇わなかったりしながら座ってスライドを見るふりをしてラップトップの画面に映る無表情に挨拶をする。おはよう。今日もつまらなくて何も変わらない。

  そうして数時間暇を潰したら昼休みになるから即席麺を持って一人になれる場所を探して徘徊する。時間いっぱいだらだらと食べて伸びきった麺に悪態をついて今日も誰にも話しかけられなかったことに安心する。

  また午前中と同じことを繰り返す。日銭を稼ぎに行く。講釈を垂れる。家に帰る。寝る。起きる…。

  荒々しさが私を轟々と運んでいく。自意識は時速80kmで出荷されてしまうから千葉の溝鼠たちはぐんぐんと小さくなっていくのだろう。鼠の国だけ景気がよくなるらしい。ビザが年々値上がりしていく。

  腐臭はおそるべき速さで薄れて、あたらしい腐臭のもとに辿り着く。浮かれる蛋白質のかたまりは鋼鉄の乗り物に格納されて高速道路にながい列をつくる。

6月

  大学に書類を提出した夏の日、キャンパスにいる人間ひとりひとりに生活があって「やって」いて「やって」いくのを急に実感して死にたくなったのを覚えている。自尊心はとうの昔に失われていたと思っていたのに、最後の最後に縋りついていたこれからの絶望が見えるほど薄いプライド、遂に砕け散ったように感じた。

  あらゆるものが進展どころか変化すらしないまま、捻り出したモラトリアムは破滅に向かう、私は中退する予感がした。教授と面談したときに困ったように吐き出された台詞、頑張ってください、それに返す言葉がないから曖昧な薄笑いを浮かべるのは惨めだ。冷房が効いた小さな部屋なのに肩甲骨の間を汗が伝っていて気持ち悪かった。私は落ちて外れた。

  恋愛感情を同一性や存在証明に利用していた、メサ・コンに浸って承認欲求を満たしながら自慰をしていた。恋人に別れを切り出されて終わりにしようと言われたあと何をしたらいいかわからなかった。自分は誰にも必要とされずに一生を終えるんだろうなんて悲劇のヒロイン気取りで大学から2時間かけて歩いて家に帰った。その辺に落ちていたカフェイン錠を酒で流し込んだら夏なのに凍死しかけた。

salmon

 私って二股してるんですかね?
みゆちゃんは可愛いから仕方ないよ。😍

  22時過ぎに起きてTwitterに張り付いた後、駅前のスーパーに乾麺とちくわを買いに出かける。明日の昼食を買わないといけないことを思い出し、即席麺売り場に向かうと、しばらく見なかった「日清CUPNOODLESシンガポールラクサ」があったから数個買う。600円の出費か。近所の二郎系に行けたな、と思う。野菜もしばらく食べていないな。金が無くて野菜ジュースが買えない。生の野菜は調理が面倒くさい。豚肉野菜炒めを作りたいけど気力がない。ちくわをうどんに入れると美味しいらしい。後で作りたい。

  帰宅途中に回転寿司屋の前で、退勤する板前とアルバイトの女子大生が話してる。ウサギは性欲が強かった、魚の中で最も性欲が強いのは何だろう。鰻を食べると精がつくと言われている、わからない。ひつまぶしが食べたい。食べる金はない。板前のペニスは何色なのだろうか。きっとカツオの叩きのような色、カジキのような色、と思った。サーモンのように鮮やかなペニスに犯されたくはない。鮮やかなペニスはドラッグが精子として射精されて、赤ちゃんがキメセクをしてしまいそうだから。女子大生も家に帰ったら彼氏と同棲していて、そこでカジキ色の切り身を食べるのだろうか、そう考えていたら家に着いた。

  年齢に意味はない。誕生日を迎えるたびに自分が思ったより若いことに驚く。成人してからは自分の年齢がわからなくなった。ただ毎日が過ぎ去っていくのを茫然と眺めることしかできない。あらゆることがどうでもよくなってしまった。大人になると得られると信じていたものが何もないこと、やっとそのように理解して受け入れる。来年も同じように歳を重ねるのだと思う。

  このころには東京の桜が散り始める、だから信号待ちの交差点などでは足元をゴミと一緒に花弁が転がっていく。白く拡がった鳥のフンの上を私の足の上を点字ブロックを、花弁は低く飛んでいく。その潰された組織の裏に透ける地瀝青と白線や砂利のいたみを妄想しているうちに信号は変わる。

  一昨々日に大学の先輩と会って話した。彼女はこの春から学外の研究室に所属することになったと。先輩は私に「キミは、なにを専門にするの」「なにをやるの」「なにがしたいの」「卒業したら?」と言ってくるから、ますます何をやりたいのか何をすればいいのかわからなくなってしまった。私はがらんどうで音叉のようにそれとなくそれっぽいことを放ってきたことを後悔した。いますぐ消えたくなった。

  もうどうしようもないから大学の前の桜を見ながら梶井基次郎を下手に引用して、「私が桜の下に埋まれたら良いのです。何者でもないのだから何にもなれないのだからせめて埋まっていたいのです。」と話した。先輩は梶井基次郎を知らなかったから私を蝉のようなものだと勘違いしていた。それなら太陽の見えない地中で明日を待ち続けたいと思った。

nobody

  イヤホンをして首の裏を掻くと陶磁器を触っているときと同じような音がする。すっす、さらさら、かさかさ。そういった乾燥を乾燥で擦り合わせるような音がする。かたいものや中身の詰まったものを叩くときと同じ音がする。

  そうなるとわたし自体がまるで入れ物のように思えてくる。どこまでがわたしなのか怪しくなってくるから、それこそ首の裏あたりに浮かぶ曖昧な離人や霊体のような気すらしてくる。3人称視点のゲームと同じ感覚で人生を生きているから、わたし自身の身体をオブジェクトにぶつかったりぶつからなかったり適当に操っているのは画面の中の何物かを操るのといったい何が違うのかわからない。

  自分にも肉体はあって隙間なく肉が詰まっていることがおそろしい。

夢(1)

  倒れるようにやる気がなく自然にそのままにしておくことがコツです。気道を確保することだけを忘れずに。(倒れる人間)(倒れる人間)(倒れる人間)繰り返し行われる。虹色のモヤっとした動きをしながらおばさんは私に話しかけてくる。自らが被介護者となって倒れながら。

  

  介護・看護に関する夢を観ている、私に誰かが説明している、そういう仕事をしていることを忘れていた。そうだった。これは私の仕事の話なのか。学部生の私にはこの仕事は少し遠くの話でいまは何も関係ないような気がしたけれど、学生であることが夢だったのかもしれない。

連絡

  何も書くことがない。あえて言えば〈否定的な感情〉や〈刹那的な希死念慮の発露〉など適当な単語を並べて暮らしている生活に飽いているということ。桜が咲いて花を見に行ってただボンヤリと生活に思い巡らすうちにまたひとつ年を取るのかもしれない。

  動物園のような高校を卒業して何年か経ち知り合いが自殺するようになったらしい。またひとり死んでしまったことを知ると、自分ではないことに驚いてから、自分は誰にも気付かれないだろうと考えて嬉しくなる。

  小学生の頃、卒業が迫って来た冬に、私は昼休みを空き教室で体育座りをしたり図書室で辞書を引くのではなくただ捲ったりして過ごすようになった。図書室のパソコンの前には声の大きな人が集まってのび太のバイオハザードのことを話していた。煩くて不愉快で空き教室や屋上へ続くドアの前で置物になってしのいだ。同じクラスの人が「どうして何もしないの。キミは忘れられてしまうよ。」と言ってきたのを覚えている。

  忘れられたかった。消えたかった。アルバムにも載りたくなかった。日常を忌み嫌っていた。ここではないどこかを希っていた。だから「いいよ。誰にも残りたくないから。」と話して少し早い厨二病だと思われるようになった。

  冬から春への連続的な変化を見るにつれて日常への嫌悪はますます強くなる。生活の実感というもの。引越しの前後には生活の実感が喪失する。家にものがなくなること・家にものがないこと・家にものがあらわれること・家にものがあること、生活は再び立ち現れる。そのなかにある生活性みたいなもの、どこにも行けないとの薄い絶望感が消えたり現れたりする。物が増えたり愛着を感じ始めたりすること。唾棄すべき安寧。

自転車

  高校生の頃乗ってた自転車は3日に1回チェーンが外れる。それを口実に遅刻した。私たち*1はカメハメハ大王だから雨が降っても休み。雪が降っても休み。冬は寒いから休み、冬に自転車を漕ぐと頭が痛くなるから。休み。休み。休み。

  担任はそんな自転車に乗るのをやめろと私たちに迫った。1週間全部休んだら三者面談を行なった。結局1/3くらい休んでた。

*1:Royal We

中央線

  立川駅午前10時頃地の果てに行きたくて白と青に乗り込む。ピキピキと一直線に伸びた中央線は地図で見ると異様で誰とも馴染めない四角四面な印象。立川駅で直線が終わるから一度降りて乗り直す。曲がり始めた、生きている鉄の船に乗った西へ横滑りしても路線には家が何処までも並んでいる。狂気はここに。